「ソーシャルメディア」という言葉を初めて見聞きしたのはいつだろう。
「ソーシャルゲーム」という言葉の方が先だったろうか。
ともかく、第一印象は「”ソーシャル”って何だっけ?」
前回の記事に載せた 『誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義』
サブタイから見えるように、そのテーマからして、一瞬、ルソーの『社会契約論』の名も出てくる。
Wikipedia で見ると、『Du Contrat Social』ということで、「ソーシャル」という単語が出てくる。
ついでに、Wikipedia で「社会」を見ると、
19世紀半ばまでの日本語には「社会」という単語はなく、
「世間」や「浮き世」などの概念しかなかった。
らしい。
とりあえず、そんな私に簡潔に、”ソーシャル”のイメージを教えてくれたのが本書。
『日本的ソーシャルメディアの未来』
(濱野智史, 佐々木博、技術評論社、2011)
- 作者: 濱野智史,佐々木博,ソーシャルメディア・セミナー
- 出版社/メーカー: 技術評論社
- 発売日: 2011/02/04
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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今でこそ「ソーシャルメディア」という言い方が当たり前になっていますよね。
でも、皆さんに思い出してほしいんですけれども、
ちょっと前は掲示板とかメーリングリストのことを「ネットコミュニティ」と
呼んでいたと思うんですよ。
あ、なるほど、確かにそんな言葉を見聞きしていた気がする。
<コミュニティ>というのは、具体的な例で言うと地域共同体とか家族共同体とか - これは家庭のことですね - 要するに狭くてローカルな範囲の人間集団を指します。
これに対し、<ソサエティ>というのは、具体的なイメージでいえば「都市」なんですね。広範囲の場所に、たくさんの見知らぬ人々が集まっている場所。
都市か。それで「契約」というような話になってくるのだった。
英語だとCOI(Community Of Interest)と言ったりするんですけども、
普通はこのようなものは<コミュニティ>って呼ばないんですよ。
(中略)
2ちゃんねるなら2ちゃんねる、別の掲示板なら掲示板という感じで、
それぞれの拠って立つ「場所」がはっきりしていた。
(中略)
それもあって、「コミュニティ」という比喩が使われていたんだろうなと思います。
なるほど、ある特定の限られた人たちがいつも集まるというような掲示板サービスを想像するに、コミュニティという呼び方がしっくりくるという雰囲気は何となく分かる。
いろんなものがマッシュアップ的に、境界線なく連携するようになってきた。
こうなると、ネット上の地域性のようなものは、それ以前に比べると希薄になってくる。
それであまり<コミュニティ>というイメージがそぐわなくなって、
「ソーシャルメディア」と言われるようになったのではないか、と思います。
確かに、Twitterと聞いて「コミュニティ」という言葉は浮かんでこない。
じゃあ何が浮かんでくるかといえば、それが「ソサエティ」なのか。
そんなメディア、ということで、「ソーシャルメディア」なのか。
というわけで、本記事は、本書の第1章の話のみピックアップしたもので、
その後は、タイトル通り、「日本」「日本人」とソーシャルメディアについての話が続いていく。
ひとつの側面を1点だけピックアップ。
ヨーロッパやアメリカは歴史的に、人種対立や宗教対立を経た上で社会を作り、フランス革命以降の近代国家を作ってきているので、「いろんな人たちが、分かり合えないかもしれないけど共存してひとつの社会を構成している」という感覚がすごく強いんです。
(中略)
それ(原始共同体的なもの)がばかでかくなっているのが日本社会、というイメージなんです。つまり、日本社会は<ソサエティ>ではなく<コミュニティ>としての性格が強い。これは今でもそうだと思います。
そして最後の方で、
とにかく日本は<ソサエティ>の領域をうまく作れていない
ソーシャルメディアの本で、こういう話を聞くとは思わなかったけど、
それはともかく、個人的には日本にそういう領域がもっとできるのがいいと思うので、
こういう話を聞くことで、意識的にそこに向かうことができる。
先日の記事 『ツイッターってラジオだ!』
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同じTwitterでも、見る人が変わると、そこに見えるものが全然違っていて、
ジョブズ本・アップル本で読んだ、「いろいろな分野の専門家を集めて製品を作る」のくだりを思い出した。深みのあるサービス作り。
ちょっと違う話だけど、インドで売られているSAMSUNGのテレビは、画面右隅にクリケットのスコアが常時表示される、という話を思い出した。
テレビひとつ取っても、自分たちの常識を軽く覆される・・・。