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むずかしいことに取り組もう - 書籍紹介 - 減速思考 【2/3】

つづきです。

前回【1/3】はこちら

 

『減速思考 - デジタル時代を賢く生き抜く知恵』
(原著タイトルは、Future Minds)
(リチャード・ワトソン(著)、北川知子(翻訳)、徳間書店、2011)

減速思考 デジタル時代を賢く生き抜く知恵

減速思考 デジタル時代を賢く生き抜く知恵

 

■第2部 考えることの大切さ

思考とはどういう性質を持つものなのか。
人間の脳は、深い思考や新しいアイデアを生み出すときにどのように働くものなのか。
外的環境がどのように影響を及ぼすのか。
そのようなことが述べられている。

 

この部が本書のメインだと思った。
内容的には、きっと多くの人にとっても、別の場所で過去に見たことのあるものに違いない。
それでもゆっくりじっくり読む。
これは儀式だ。お経のように読めばいい。
そんな気持ちでページをめくった。

 

いろいろありすぎるので、とりあえず、2点だけ強引にピックアップ。

 

ひとつめは、読んでいるときに思い出したことを書きたいがためのもの。。(^_^;)

理屈で考えれば、時間を節約できるテクノロジーを思いのままに活用できるのだから、

思索を深めるためにもっと時間を注ぎ込めるはずだ。

しかし、現実は逆のようだ。

子どもの頃に聞いた笑い話(?)で、当時何となく危うさを感じて心に刻まれた話がある。
それは東京から大阪への出張の話。

大阪までは遠い。だから出張するときは1泊2日になる。
新幹線ができたから、よし、これからはゆっくりできるぞ!
と思ったら、日帰りになった、という話。

 

参考 : (東京-大阪)はどんどん狭くなる - 日本部品供給装置工業会

 1960年(S35) 東京-大阪間  6時間30分
 1964年(S39) 東京オリンピック開催に合わせて東海道新幹線開業
          東京-新大阪間 4時間00分(ひかり)
 1965年(S40) 当初計画の 3時間10分(ひかり)
 1992年(H4)  東京-新大阪間 2時間30分(のぞみ)

 

新幹線がどうこうという話ではない。
新幹線自体はとても素晴らしい発明だ。
大阪への日帰り出張が可能だなんて、なんと便利なことだろう!
ここで言いたいのはそういう話ではなくて、
この話にスピードや効率が人間社会にもたらす本質が表れているのでは、ということ。
つまり、効率化によって空いた時間は決して自由に使える時間にはならず、
その分だけ、他のモノが詰まってくる、ということ。
便利になったらその分やることが増える。

 

子どもの頃はとりあえずのところブラックジョークとして笑っていれば済んだが、
気づけばそういう世界の真っ只中に立っている。
ディスプレイ中毒になっている場合じゃない。
考えないと、奪われる一方だ。

 

同様の話として、やはり子どもの頃に目にした、21世紀の話が記憶に残る。
21世紀には、ロボットが人間の代わりにいろいろなことをやってくれます。
そのため、人間は苦しい労働から解放されて、余暇を楽しみ、心豊かな生活を送っています。
そういう論調の話。
子どもの頃はそのまま信じてしまっていたが、
今では誰もが知っているとおり、現実はそうはならなかった。
確かに機械がいろいろやってくれるようになったけど、その分、人間が職を失ったという・・・。
お金がどこから個人のふところに入ってくるか、その視点がすっぽり抜けているせいだが、
ともかく、人類が保有している資産を見れば、そういうことはすでに実現可能にも関わらず、それがなかなか実現しにくい。
そんなことを考えるとちょっと絶望の気持ちがアタマを覗かせてくるけど、そういうのにはハンマーを打ち下ろさなくては。。

 

 

もうひとつの話は、個人的には超重要な話だと思っている事柄。
この「良薬は口に苦し」的な言葉に向き合うか否かで人生変わってくると思う。

忙しいと、自分自身に対して、むずかしい問いを投げかけなくなる。

 

毎日終電の日々で、常に睡眠不足で、それでもやることが溜まりまくっている、
そんな日々では、まさにそういう状態だった。
今はそれどころじゃないんだ。
で、何とか力ずくで終わらせたとして、つかの間の休息を得る。
今はただ休みたいんだ。気分転換したいんだ。
すると、また忙しい時期が始まる。
今はそれどころじゃないんだ。
これがループしていく。
わかっちゃいるけどやめられない。

 

忙しいと、根気が必要な思考、粘り強い思考、執念をもって考え続けること、そういうことができなくなる。
いや、目先の作業に関するそういったことはやるのだけど、
そうではなくて、自分は今後どういう人生を選択すべきなのか、自社は今後どういう方向に進んでいくべきなのか、そういう大きな問い、「重要だけど緊急ではない」「唯一の正解なんてない」問いに取り組む気力が湧かない。
仮に、話さなきゃと場を設けたとしても、表面的な話で終わったり、また次回にとか、そういう感じになってしまう。

それは、布団の中で、あと5分だけ、あと1分だけ・・・と、終わりが来るのを分かっていながら、ぐずぐずしている感じに似ている。。
まずは逃げようとしている自分の姿に気づかなくては。
ガバッと跳ね起き、その勢いのまま戸外に出て、体を動かしながら深呼吸を繰り返すと、目が覚める! (遠方通勤時期の、毎朝5時半起床のときに、この方法が役立った)

 

ともかく、ディスプレイ中毒になっている場合じゃない!

 

 

【3/3】につづく

 

むずかしいことに取り組もう - 書籍紹介 - 減速思考 【1/3】

「思い立ったが吉日」「拙速は巧遅に優る」
とはいえ、
「急いては事を仕損じる」「急がば回れ」

 

先人の有難い教えには、往々にして反対の言葉があるものだ。
どちらか片方だけで済むほど世界は単純ではないからだろう。
ていうか、ことわざ類は文脈から切り出されて単体で出てくるから反対っぽく見えるだけで、実際のところは別に対立してない。
そうか、その文脈を思い出させるためのキーワードか。デザパタのパターン名のような。
とりあえず、大きな方向性を描くときは深く考えるべきだろうし、それが決まったなら速ければ速いほど良さそうだ。

 

さて、最近、ちょっと焦りの気持ちが表面に上がってきているという自覚がある。
若い頃の焦りとはちょっと性質が違うけど、それでも妙に心落ち着かず、という点は同じだ。
のほほんとしているよりは焦るくらいがちょうどいい、そんな話もあるかもしれないけど、ここではそういう話ではなく、焦ったところで思考が深まるわけではない、そういう話。

 

そんなある日、店頭で僕の目が勝手に目をつけたのが、この本。

 

『減速思考 - デジタル時代を賢く生き抜く知恵』
(原著タイトルは、Future Minds)
(リチャード・ワトソン(著)、北川知子(翻訳)、徳間書店、2011)

減速思考 デジタル時代を賢く生き抜く知恵

減速思考 デジタル時代を賢く生き抜く知恵

  いつの間にかISBN記法が使えるようになってた!
  やったー! やっぱり表紙画像があると華がある! 嬉しい!

 

とりあえず、タイトルを見れば、おおかたの内容は想像つくと思う。。(^_^;)
「深く考えることが重要だ。そのためにはスピードを落とす必要がある。」
ざっくり言えばそういう話だ。
その一言で、そうだった!忘れてたなあ!としっかり思い出せる人は、わざわざ本書を読む必要はないかもしれない。

 

「○○思考」の類書は巷に溢れていてキリがないと思っているので、
いつもならそのままスルーするところだけど、勝手に目が探し出したことから、
なるほど、自分が今まさに直面しているこの焦りに対抗する、きっかけの「儀式」としてちょうどいいんじゃないかと思い、手に取ってみた。
著者は「類書を量産」系の人じゃなく、「減速思考」も邦題だったこともあり、購入に至る。

そして、雨の週末、意識して心を静めてページをめくったのだった。

 

 

体力ではなく、知性が経済的生産のための主たるツールとなった。

(中略)

ところが、現在、危機に瀕しているのは、この種の思考なのである。

そんな序章から話が始まる。

 

 

■ 第1部 デジタル時代の知性

昨今の「スクリーン文化」とその影響について述べられている。

 

ここで出てくるのが「スクリーン中毒」という言葉。

隙あらばスクリーンを見て、

われわれはひたすら画面をスクロールしている

これは耳が痛い・・・。
スマホやTwitterによって、その傾向に拍車が掛かっていることに気づく。
見る人が見れば、まるでお笑いコントの登場人物の如く、滑稽な姿に映るかもしれない。

 

そのようなスクリーン中毒によって、深く考える機会だけでなく、「発酵させる」機会も失っているという。

 

ちなみに第3部ではこんな引用があった。

仏教では、次々にいろんなことを考え、いまこの瞬間に完全にとどまることがない状態を「猿の心」という。

なるほど・・・。

 

念のため。
著者は、「アナログ最高!デジタルを捨てろ!」論者ではない。
必要とする思考の種類によって使い分けよう、バランスを取ろう、そういう主張。

 

 

昨今の電子書籍に関係しそうな話もあった。

子どもが集中できず、シェークスピアを理解できないからと、

まるでディズニーランドのような双方向学習の場を用意するのは、

必ずしも正しい答えではない。

私は、生文献を読んで即すべてが理解できるほど優秀ではないので、
ガイドとなる入門書や解説書はとても有難く読ませて頂く人間。
それらによって、こういうことだったのかと認識して離陸させてもらえることが多い。
とはいえ確かに、いざどういう手段でどこまでの深さで提供すべきかというバランスの話になると一概には言えないものだなあと思った。
良影響より悪影響の方が大きくなる場合もありうるのだ。
ゴールに置くのは、そのテーマに関心を抱かせることか、目先の知識の獲得か、それとも知的訓練というプロセスか。
きちんとゴールを見据えて手段を選択しないといけない。

 

 

マルチタスクの弊害という話からは、プロジェクト掛け持ちの話を思い出した。
優秀な人なのに、掛け持ちしたら大失敗した、そんな事例を近年も見た。

 

情報技術者は、想像力を働かせることが非常に重要。
よく言われる話だけど、例えば20階建てのビルを建設中だとして、
そろそろ出来上がりそうなときに、「やっぱり1階から5階は吹き抜けにしよう!」
そんなことを言い始めるお客様はいないと思う。
しかし、ソフトウェアの世界では、そういうことが起こりうる。
見えないからだ。
文面にしていようが絵にしていようが、少なくともパッと見では全体は見えないのだ。
サンシャイン60のすぐ下に実際に立ってみれば、その大きさに圧倒されるはず。
しかし、どんなに複雑なシステムでも、そのソースコード群を目の前にしたところで、あの圧倒感を感じることはない。
(システム開発経験のある人は、想像力で補って圧倒されるかもしれないけど。。)
そのため、ちょっとした変更に見えても、想像力を働かせて粘り強く考え抜かないと、思わぬ副作用に慌てることになる。

なので、誰一人深く考えることのできない体制、深く考えるインセンティブを持たない体制、というのは最初から失敗する運命を宿している。

アサインする側は、この辺りの力学を、それこそ想像力豊かに考える必要があると思う。

アサインされた側から言うのは普通なかなか難しいことだ。
「面倒だからそう言ってんじゃないの」とか、自分が非力であることを認めることになると思ってしまうとか。
とはいえ、本当に結果を重視するなら、そのときはその旨相談すべきだと思うけど。
ともかく、掛け持ちで頑張った結果が、「いいかげんに仕事したからこうなったんだ」で終わるのは、まったくもってやり切れない悲しい話じゃないか。

 

 

【2/3】につづく

 

追記 - 続 これからどう生きるか - 書籍紹介 - Software Design 2012年2月号の第1特集

1点、個別事項に踏み込んで追記。

 

Software Design 2012年2月号』(技術評論社、2012)

Software Design (ソフトウェア デザイン) 2012年 02月号 [雑誌]

Software Design (ソフトウェア デザイン) 2012年 02月号 [雑誌]

 第1特集 IT市場の転換期を生き抜く

 

 第3章の日本HPの北山氏の言葉。

10年の常駐が終わったとき、

チームではアプリの開発ができる若手から引き取り手が見つかって、

私は最後まで残りました(笑)。

 

この一文からいろいろな出来事が脳裏に浮かんでくる。

ここだけピンポイントで取り出しても全体像は見えないものだけど、それでもともかく、これを機に、SI事業のひとつの側面について、いくつか思うことを書き残しておきたい。
(一口にSIといってもいろいろカタチがあるので、自分の見聞きの範囲。
 なので、単に、あるひとつの話という位置づけ)

 

 

SI企業に限らず、企業なるもの、安定した収入源というのは重要な話。
なので、SI企業からすると、例えば、
期間3ヶ月の案件を都度探して、人をやりくりしながら、1年に4回やるよりも、
期間1年でまとまった人数で1回やる方が望ましい。管理効率も良い。

そこでひとつの方向性として、顧客先への常駐というものが挙がってくる。
これにより、メンバーの予定が比較的長期で見込めて、「遊ぶ」状態になるリスクを抑えられる。
また、実際の現場の面からも、やはり顧客の現場にいてこそ分かることがたくさんあって、シゴトが捗るという事情もある。捗る以前に、よっぽど業務に通じていない限り、それしかないかもしれない。

 

ここにひとつの大きなジレンマがあると思っている。それにどう対処するかが、企業と社員の命運を握る、ひとつの要因になるのかもしれない。

常駐する個人にフォーカスしてみると、往々にして、その現場に最適化してしまうというリスクがある。業務内容、シゴトの進め方、扱う手法や技術、等々。
2年なら全然良いだろうけど、5年10年となると・・・という印象あり。
比較的安定した環境下で、余裕が持てて、意識的に最適化せず研鑽を積む、ということであれば、個人としてはかなり望ましい状況だと思うけど、なかなかそんなにうまくはいかない。

 

この最適化リスクが顕在した実例を近年見た。諸事情はあったが、結果として、うまくいかなかった。そういうリスクがあると思っていたことが現実に示された経験となった。

とはいえ前述通り、企業側からすると長期契約が望ましい。合理的な選択なのだ。
それにどう対処するかは、企業と当人次第。 

 

 

次に、人が分散する話。

例えば、その企業の開発者が100人だとして、100人全員がひとつの場所に常駐する、そんな話は無くて、例えば、10人のチームが10箇所へ常駐、そんなイメージとなる。
チームのマネージャークラスであれば、1ヶ月に複数回は帰社して、ということもあるだろうけど、往々にして、メンバークラスは、諸事情につき、1ヶ月に1回の帰社ができなかったり、しなかったりする。全員が一堂に会する機会なんて、そうそう無い。その機会が、シゴトではなく、単なる飲み会だったりもする。そもそも「全員」が集まるなんてことはまず無いように思う。

 

このとき、そもそも論に立ち戻ってみて、素朴な疑問として浮かぶのが、その会社の存在意義は何か?という点。
その会社は、ひとつの存在として、一体何を成しているのか。
婉曲せず率直に表現すると、バラバラなチームなり個人なりをグループ化しているだけではないか、そんな風に思えてしまう。

いや実は、10人チームが10箇所で継続している環境というのは、相対的に望ましい状況だと思う。各チーム内で、各種を共有・向上させる機会を持ちえるという観点で。そして、チーム間でそれらが連携できればさらに望ましい。でも実際はなかなかそんなにうまくはいかない。だから、グループ化のイメージが想起されてしまう。

 

 

最後にもうひとつ。

冒頭の引用文にあるように、常駐はいつか終わる日が来る。
現場のキーマンとなって、そこに転職して要職に着いたという人もいたけど、いろいろ条件が揃って初めて可能になる話だと思う。
ともかく、大抵の人にとって、常駐は終わるものだ。
あまり生々しくは書かないけど、ともかく結果として、終わってそこからまた新しく始める、そういう流れになる。

シームレスに次につながれば全然良いと思う。
ここで問題になるのが、一つ目の、最適化リスクの話。
具体的なイメージを醸し出すために、例えば、28歳から10年間常駐して、38歳で常駐が終了したと想像してみる。シームレスに、38歳で求められる価値を出せれば良いけど、どうだろうか。近年は案件も溢れているわけじゃないので、自分にぴったりの案件を、というのも易しい話ではないかもしれない。
きちんと汎用化されていて、ああ、この人ならきっとうまくやり遂げそうだ、そう思わせてくれる人もいるので、行き止まりの道というわけでは全然ない。ただし、自分も開発に携わらないといけない小規模案件や、実装レベルの話もできなくては回せない案件などには参画が難しいという面はある。とはいえ、人がいないのでやってもらうしかない、という流れになって、大失敗したケースを近くで見たことがある。

 

 

つらつらと書き連ねてきた。
実際は悪い話ばかりじゃないと思うけど、とりあえず、ここではパッと見、よろしくない話ばかりになった。(それに、もろもろにつき、だからオレは、という話は何も書いてないし。。)

でも、こういう話は、いずれ過去の話になるかもしれないなあ、
ふとそんなことを思ったりもした3時半。

 

続 これからどう生きるか - 書籍紹介 - Software Design 2012年2月号の第1特集

ちょうど、こんな特集が組まれていた。

Software Design 2012年2月号』(技術評論社、2012)

Software Design (ソフトウェア デザイン) 2012年 02月号 [雑誌]

Software Design (ソフトウェア デザイン) 2012年 02月号 [雑誌]

 第1特集 IT市場の転換期を生き抜く

 

話の呼び水として、率直な感想を最初に。

なるほど、書いてあることは確かにどれも重要だ。
そして、基本的には10年前から言われ続けてきた話と同じだと思う。

 

もうちょっと言えば、コミュニケーションというキーワードが多くなっている点と、
T字形人材では不足、3本足の下駄形だ、というように、
必要とされる条件が一層厳しくなっている点が、差異かと。

 

上記2点の背景は、端的に言えば、相対的に易しいシステム化は、もう一通りやり終わったのだ、ということだと思っている。

やりたいことがこれまでよりさらに困難だったり、漠然としていたり、対象領域が広かったりすることから、ステークホルダーが多くなり、内容も多岐に渡り、そして、技術要素の種類も多くなる、ということから。

確かにその辺りの雰囲気は、自分も実際に感じる。

 

 

本特集記事を通して、いわゆるSI事業が念頭にあるような印象を受けた。
誰に話を聞いているのかを列挙すると、

  • 2章:野村総研の部長
  • 3章:HPのDBエンジニア
  • 4章:人材コンサル企業の代表取締役
  • 5章:パソナテックのCOO
  • 6章:『30代を後悔しない50のリスト』の著者
  • 7章:製造業→SI業→コミュニケーション研修業への転進された方
  • 8章:人事・労務コンサル企業の代表取締役
  • コラム1:ITベンチャーの代表取締役
  • コラム2:ユーザー系SIerの執行役員
  • コラム3:大塚商会のセンター長
  • コラム4:SI企業から弁護士へ転進された方

 

簡単な内容紹介として、キーワードを列挙。

  • 苦しくなるのは特徴のない中堅企業
  • スピード感
  • 間の埋め方・つなぎ方を考えられる人 (人対人、企業対企業)
  • 人を束ねられる人
  • シゴトを取ってこれる人
  • 稼ぐ人!

 

 

というわけで、内容的には、あくまでも個人的には、おお!という新しい発見は無かった。
「転換期を」というタイトルだけど、内容的にはそこまでの飛躍は感じなかった。

文面は同じだけど、一昔前から見れば、それの指す意味が「そこまでできれば理想」というものから、「それができないとマズイ」というものへ変化している、そういう面があるかもしれない。

ともかく、内容的に目新しいわけではないが、だからといって自分がそれらをできていることを意味してなく、課題だらけという思いなので、非常に厳しい現状(及び延長線上の未来)を改めて突きつけられた、という読後感。 

 

そういえば、ひとつこんな話が載っていた。食品業界の人からこう一喝されたと。

人口の減少やニーズの飽和はずっと前から織り込み済みで、その中で戦っていくために製品の提供鮮度向上など、血のにじむような思いで努力している。
IT業界は今まで何もしなくても仕事があったから努力していない。
それで市場が縮小しているとあわてているなんて認識が甘い!

なるほど・・・。
言い訳したい気持ちも出てくるけど、とはいえ、その内容も含めてのことなんだろう。
コンサルの人の本によくこんな話が載っているから。

「どの業界の人からも必ず聞く言葉がある。それは、『うちの業界は特殊なんです』」

 

追記 - これからどう生きるか - 書籍紹介 - 2022 (神田昌典)

今日は寒い!

昨夜残業から帰宅した流れで眠い中書いた紹介記事を振り返ると、何だか人口の紹介話になっているので・・・
本書の本筋に近いところで、自分が受け取ったイメージのところで、1点追記。

 

『2022 - これから10年、活躍できる人の条件』
神田昌典PHP研究所、2012)

2022―これから10年、活躍できる人の条件 (PHPビジネス新書)

2022―これから10年、活躍できる人の条件 (PHPビジネス新書)

江戸幕府末期に、武士に夢を描いてください、と言ったら、どんな夢になってしまうだろう?

10万石の大名になりたい、という夢を1865年に描き、それに突き進んだものは、手ひどい挫折をしたことだろう。

※参考
 1868年秋、明治に改元

 

同様に、戦国時代の終盤、これから徳川政権が確立されようという時代に、
オレは武士として戦で名を上げていくぞ、という志を抱いていた人は、
その人の情熱の強さとは無関係に、戦の無い時代を生きることになったはず。

※参考
 1598年夏、秀吉死去
 1600年秋、関ヶ原の戦い
 1603年、江戸幕府開幕

 

人間というもの、自分が何を実現したいと望むかに関わらず、必ず時代の大きな流れの影響を受けるものだ。それはもう前提として受け入れる他ない。

 

30年前に、まさに今の、スマホの溢れる世界を構想したとしても、30年前では実現できなかったはず。通信インフラ面、端末開発面、価格面、コンテンツ面、人々の趣向面、等々、今ようやく土壌がそろったからこその賑わいだ。
(いや、構想するのはとても大事で、そこを目指すのもとても大事で、そういう方々がいたからこそ今の社会があるわけで。ここで言いたいのは、当時すぐには実現できなかったはず、という点。当時、スマホ開発を即、事業化しようとしたら、大失敗しただろうということ。)

 

というわけで、未来をどういうものだと想定するかは、生きていくうえで非常に重要な話だ。

 

とはいえ、目の前の業務に追われる日々にあって(あえてここではシゴトとは表現しない。。)、なかなか未来を考えるなんて、という思いを抱く人が多いはずと勝手に思うけど、だから実際、江戸幕府が始まったときにも、明治維新のときにも、きっと多くの人が、変わらないと思っていた世界が急激に変わってしまった!と、驚きでもって変化を迎えて後手の対応になったに違いないと勝手に想像する次第なので、これはもう個々人の選択の話だなあと。

 

この先、5年、10年、きっと良くも悪くもエキサイティングな時期になるに違いない。
少なくとも自分のこの先5年、10年は、そうなるに違いない。
その激流に飲み込まれて沈むかもなどと思うと恐怖に固まりそうになるけれど。
良くも悪くも、きっと素晴らしい時期になるに違いない。

 

これからどう生きるか - 書籍紹介 - 2022 (神田昌典)

知る人ぞ知る(?)神田昌典氏の新刊。
知る人ぞ知るとか書きながら、良い場所に平済みされていました。
とりあえず、ハードカバーで1500円以上だったら迷ったけど、新書であり、
かつ個人的に最近、未来の話に関心が高いので、どういう未来が語られるものかと購入。

 

『2022 - これから10年、活躍できる人の条件』
神田昌典PHP研究所、2012)

2022―これから10年、活躍できる人の条件 (PHPビジネス新書)

2022―これから10年、活躍できる人の条件 (PHPビジネス新書)

第1章から話がぶっ飛んでいるので(!)、興味深く読める人と、拒否反応を示す人に、はっきり分かれそう。。(^_^;)

とりあえず、個人的には、前半はとても興味深くおもしろく読めた。

 

第1章の、70年サイクルの話、年数はともかくとして、同じ人類がやること、歴史は繰り返されると思っているため、そんなに突拍子もない内容だとは思わなかった。

現代社会は何事も問題なく、かなり順調にうまくいっているよ!」 そう思っている人より、漠然と不安を抱えている人の方が多いのでは、と勝手に思っているので、そう思うと、ひとつのパラダイムが賞味期限に近づいているというのは全然変な話ではない。

とりあえず、このくらい、いつもは聞かないようなぶっ飛んだ話を聞くほうがおもしろいし、ためになる。幅を広く取って、バランスを取りたい。

 

第3章では、「信じるも信じないもあなた次第」的な”予言”ではなく、未来を見るひとつの確実な指標にも言及されている。

それは、人口。

簡単にその意味を紹介すると、
例えば、1975(S50)年の出生数は 約190万人。
それから35年経った2010年。2010年に35歳の人は何人いるか? 当然、約190万人。

さて、2010(H22)年の出生数は 約107万人。
今から35年後の2045年に、35歳の人は何人いるか? 同様に、約107万人。
これは、泣いても喚いても変わらない、すでに確定した未来。

参考: 厚生労働省 平成22年(2010) 人口動態統計の年間推計

 

というわけで、2045年では、社会の中核を担う35歳の人は、今の約半数。
(※簡単のために出生数以外の増減は無視)

 

この人口の話を自分が知ったのは数年前で、そのときは衝撃だった。
すでに確定した未来が今あるのだということに目からウロコ状態。
ちゃんと考えてみれば当然の話なのにね・・・如何に物事を考えていないかってことだ。
(と言いながら、 その数年前から今に至るまでそのことを追求していないので、何も活かされていないのだけど)

 

ともかく、2010年生まれの人にとっての同級生の人数は、1975年生まれの人にとっての同級生の半数。当時の学校のクラス数から半減する。
彼ら彼女らをターゲットとした、子ども向けのモノやサービスの売上も、当時から半減かも。
(数も単価も時代も違うので、何が半減とうまく言えないけど)
彼ら彼女らが大人になるにつれ、必要に迫られて購入するもろもろも半減かも。
とりあえず、経済なり社会の姿なり、今現在と何も変わらないということは無さそう。
さらに、単純に彼ら彼女らが子どもを1人もうけると考えると、出生数は約50万人となり、減る一方だ。。日本人いなくなるぞ。。

 

今回も全然、本書の概要紹介になっていない!けど、ともかく、未来の話に関心のある人なら、さらっとでも読んでみるのも良いのでは、ということで、(^_^;) 最後に、個人的に「うまいこと言い表したなあ!」と思った一言を引用。

挫折として見えることは、それは過去から続く自分にとっての不条理なのであって、
未来から導かれる自分にとっては、まったく合理的なことなのだ。

確かにそう。大学1年の頃、ひどい挫折を味わって、当時は苦しみもがいたけど、かなり後から振り返ったときに、あの出来事が今の自分の原点だなあと思った経験もあって。。
近い未来の日本にも、そんな挫折の訪れる日が来るのだろうか?! 

 

というわけで、今から5年後、10年後にどうなっているかは、
5年後、10年後になってみれば、確実に分かる。
大事なのは、自分は今何を信じるのかを決めること。
決めた道を突っ走るしかない、という気持ち。

 

しかし、5年後ってすぐそこには違いないけど、5年前は今とは結構異なる心境だった。
10年さかのぼってブラウザを開けば、今、Chromeから見える世界とはまったく異なる。
そう思えば、5年後、10年後に、世界が様変わりしてても全然おかしくないなあ。

 

追記

ちょっとググったら、戦後に預金封鎖の実績があったこと知った。
あと、外貨預金。日本の銀行のサービスを通じてだと、その銀行が倒産したとき、 保護対象外ということで、返ってこないとのこと。
なるほど、話は簡単じゃないみたい。
海外かー。 

 

ラジオの「中の人」がやるツイッター - 書籍紹介 - ツイッターってラジオだ!

先日読んだ『ソーシャルメディアの夜明け』(平野 友康、メディアライフ、2011)の中に、深夜ラジオでは、ラジオの前の<みんな>って言っちゃダメだぞ、とディレクターさんから教えられたというエピソードが載っていて、へえーなるほど!って思ったことがきっかけで、この本に辿り着いた、のだと思う、確か。。ともかく本書にはその話が出てくる。

 

『ツイッターってラジオだ! - ナンバーワンツイッター番組のパーソナリティがつぶやくあなたの味方を増やす59の方法』 (吉田尚記、講談社、2010)

 

著者は、ラジオ局 ニッポン放送のアナウンサー。

「ツイッターは文字のラジオだ」と気づいてしまった

ことで、

ラジオの現場には、この世界の人間しか知らない”ラジオで不特定多数の人とコミュニケーションを取る技術”がある。この技術が、誰にでも開かれているツイッターという場所が生まれたおかげで、ツイッターをやっているすべての人にとって意味のあるものになったんだ・・・! ラジオパーソナリティだけが身につける必要があった技術が、ツイッターをやっているすべての人に広く活かしてもらえるわけです。私がこの本を書かせてもらおうと思った動機は、そこにあります。

とのこと。

1章は、著者が上記のように気づき、ツイッターにハマっていった経緯。
2章は、メインの、そのコミュニケーション技術について。
(※ラジオでのそれそのものの紹介、ではなく、著者の考えるツイッターでの活かし方)
本書後半の3章以降は、著者のツイッターやラジオに対する分析。

 

個人的に本書を読んで最も良かったことは、
ラジオの人が見ると、ツイッターってこう見えるものなのか、ということを知ったこと。
ツイッターをビジネスに活用する的な内容じゃなくて、もっと身近な使い方の話。

意識して取り込まない限り、どうしても似たような情報とばかり接してしまって、気づけば、自分ではそう思っていないのに、さらに言えば、オレは結構柔軟だと思っているのに、それでも実際は結構モノの見方が固定されてしまっている。この本は、意外に(失礼!)、その壁に穴を開けてくれて、その向こうを覗いた感じがして、僕にはとても新鮮でおもしろく読めた。前半も後半も。最初はスルーしそうだったけど、読んで良かった。

Amazonの「これも買ってます」には限界がある、少なくとも今のところ。ある話題の水平展開には役立つけど、ちょっと飛躍のあるようなモノに新しく出会うのはなかなか難しい。なので、読んだ本の中やツイッター、ブログ等で、枝が伸びるような外部情報があったら、なるべくググるようにしている。

 

話が逸れた。

一時期、いや今でも? ツイッター上でハッシュタグを用いた「大喜利」が流行っていたけど、そして、私はほとんど関心を寄せなかったのだけど・・・

「ツイッター=ラジオ」であるなら、ラジオの定番企画は、絶対にツイッターでハマるに違いない!

ラジオでお題を言うと、リスナーからのメールが一斉に受信ボックスに出現する、あの醍醐味が、自分たちだけでなく、ユーザー全員で体験できるぞ、と。
そんな熱い思いがあったとは!
いろんな人がそれぞれの情熱と志向のもと、試行錯誤でツイッターの使い方を開発しているのだなあと改めて教わった次第。

 

あと、著者のハウツーのひとつとして、「面白いたとえ話を作る」ということが挙げられていて、本書でもしばしば使われるのだけど、ツイッターそのものに対して、

簡単なおもちゃのような顔をしているわりに、
実は予想以上のとんでもない未来を見せてくれるものじゃないか。

なるほど! 多くの人にはツイッターってそういう顔に見えているに違いない!って思って感心してしまった。。(私自身はコンピューターのシステムというのを作る側に立っているので、トータルで見て、ツイッターを作って運用するのは易しい話じゃないぞ、と思ってしまうけど)

 

本書の後半の分析的な話も、

「ラジオなんて儲からないのに、なんでやってるの?」という質問にうまく答えられない私がいました。

という著者が、

「あ、ラジオの将来、明るいじゃん!」どころか、
「これからはラジオの時代じゃん!」とすら思っています。

という風に認識の変わったことが話のベースにあって、著者ならではの話になっている。

 

最後に

ツイッターで日々つぶやきを眺めていると、その人の「根っこ」のようなものがなんとなく見えてきます。そして思うのが、「人は誰しも、たったひとつの伝えたいことを、様々な言葉で言い続けているんだなあ」ということ。

さすがは、ラジオのパーソナリティ。
人間を見ているなあ。。

 

というわけで、さっくり読めながら味わい深い、単なるハウツー本でもなく、高所から眺めるツイッター論でもなく、著者の個人的な興奮や熱い思いがぎっしり詰まってる良書だと思う次第。

あ、大事なこと書き忘れてた。。
冒頭の「動機」の話にあるように、普通に一個人として、ツイッターにはこういう姿勢で向き合うといいよ!というまとまったアドバイスをもらえて良かったなと。