kiritterのブログ

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3つの方法 - 書籍紹介 - 「はかなさ」と日本人

ひょんなことから以前読んだこの本を思い出した。

 

『「はかなさ」と日本人 - 「無常」の日本精神史』 (竹内整一、平凡社、2007)

「はかなさ」と日本人―「無常」の日本精神史 (平凡社新書)

「はかなさ」と日本人―「無常」の日本精神史 (平凡社新書)

 

 

示唆されることの多い本ほど、紹介するのが大変だ、とか、
すぐに実生活に役立つ、そんな本だけを紹介しないといけないなら、それでも書く理由なんてあるだろうか、とか、そんなことをいろいろ思いつつ、ちょっとブログから離れていたけど、
気が向いたときに気ままに書くことにした。

 

 

この本、日本の歴史が好きな人ならきっとおもしろいと思う。
歴史小説好きな人には、その時代の人々の背景を知ることでよりおもしろく読めるとか。
また、まさにアイデンティティ確立のさなかにいる年代の人には、
現実問題として示唆されるものも少なくないんじゃなかろうか、そんなことを思ったりする。
とても丁寧な筆遣いで話が進んでいくという面からもおすすめしたい気持ち。

 

「はじめに」で、本書のテーマが示される。

(前略)

それはまぎれもなく、ひとつの無常・ニヒリズム状況を示しています。

本書では、こうした状況をそれとして主題化して検討し、

その状況を何らかのかたちで肯定に転ずることができるとすれば、

それは、どのようなかたちでありうるか、

ということについて考えてみたいと思います。

問い方の表現をかえれば、

「はかなさ」の向こう側があるとすれば、

それは、どこにどのようにありうるか、という問題として立てて考えてみたいと思います。

そして、

「はかなさ」「むなしさ」というような事柄は、現代に初めて生まれたものじゃなく、人間が生まれて死んでいくという状況下で常にあったもので、その時代その時代に、格闘の歴史があったのだということで、これまで問われ続けてきたのと同様の問いの蓄積のうえで問われなければならない、ということで、

1章の最後で、分析の進め方が示される。

そこで、以下、「はかなさ」の向こう側のあり方を、

図式的に次の三つのタイプに分けて考えてみたいと思います。

①「夢の外へ」

  この世は夢、だが夢ならぬ外の世界があり、そこへと目覚めていく。

②「夢の内へ」

  この世は夢、ならば、さらにその内へと、いわば夢中にのめり込んでいく。

③「夢と現のあわいへ」

  この世は夢か現か、その「ありてなき」がごとき生をそれとして生きようとする。

 

①と③については、現代でもそれなりに一般的で想像可能な考え方だと思う。

①は、浄土へ、極楽へ、という考え方だし、

③は、「今を生きる」とか「大河の一滴に過ぎないけど、その一滴が大河を作る」とかの考え方かと。(※ちょっとニュアンス違うかも・・・)

 

それはともかくとして、何より驚きだったのは、②の考え方。
こういう考え方を、この本で初めて知った。
びっくりして、そして、戦国時代の話と照らし合わせて、何だかわかったような感じがした。
(能の幽玄というのもこの志向なのだろうか?? 知らないまま適当に書いてますが・・・) 

この世が「浅き夢」(※)であるならば、その中途半端な「浅さ」がまずいのであって、

むしろそれをさらに、いわば「深き夢」、「濃き夢」へと仕立て上げ、のめり込んでいこうとするような志向

(※「いろは歌」=「色は匂へど散りぬるを 我が世誰そ常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず」の「浅き夢」を受けての表現)

ということで、

露とおき露と消えゆくわが身かな 浪速のことは夢のまた夢

豊臣秀吉の辞世の歌)

 

(前略)

いずれにしても、武士たちは、自分たちの生をふりかえったときに、

判で押したように「ああ夢のようだった」という感慨をもらしています。

(中略)

しかしだからといって、彼らは、『一言芳談』のように、

「此世の事はとてもかくても候」(※)などとは決して言いません。

むしろ懸命に、この夢幻のごとき世界を生き抜いています。

その能動的な行動力やエネルギーには驚くべきものがあります。

この世は夢幻と言いながら、というより、むしろそう言うがゆえに、

彼らは自分の命に執着することなく、戦闘者として生き切ることができた、

あるいは、死に切ることができたということでもあります。

そこにかえって、通常にはない能動性を可能にしている面もあるかと思います。

(※この世のことはどうでもいいので、後世をどうか救って下さい、という感じの気持ち)

 

夢に突入して夢ならざるものへと突き抜けていく

なんともすごい方法があったものだと驚いた。

そして、実は現代でも、ある層の人たちはある意味この方法を採っているとも言えるのかな、
そんな理解にも及んだ。

  

というところで、以上です。

 

音楽紹介 - あまり有名じゃないけど好きな曲たち

本だけじゃなく、懐かしい昔の曲にも再会したので、
あまり有名じゃない(と勝手に思っている)けど自分は好きな曲、
という感じのものをいくつかご紹介。
リアルタイムで聴いたものもあれば、随分後付けで聴いたものも) 

 

 

Milltown Brothers - Slinky

Amazon上に無い!のでリンク張れず・・・ジャケットは以下の動画の絵

 

Here I Stand

ギターのフレーズがキラキラ過ぎてたまらない!

 

 

The Bluetones - Expecting to Fly

エクスペクティング・トゥ・フライ

エクスペクティング・トゥ・フライ

 

Slight Return

今すぐ走り出したくなる!

 

 

Summercamp - Pure Juice

ピュア・ジュース

ピュア・ジュース

 

このアルバム全体が好きだ! ジャケットも良すぎ!

On Her Mind (ライブ映像しかなかった)

聴けば一瞬で暑くて熱い夏に戻る!

 

 

Shack - Zilch

Zilch

Zilch

 

The Believers

ゆったりした気分のとき、ふと口ずさんでいる!

 

 

おまけ

Prefab Sprout - Jordan: The Comeback

ヨルダン・ザ・カムバック(紙ジャケット仕様)

ヨルダン・ザ・カムバック(紙ジャケット仕様)

この人たちは有名のはず。。 

Scarlet Nights

プリファブといえば、個人的には、
Steve McQueen (Two Wheels Good) なのだが、
今回は、特定の時期を思い出すこの曲を。

 

 

大掃除、ようやくそれなりの形に落ち着いた。
よし!がんばろう!

 

本との出会いのタイミング - 書籍紹介 - ライ麦畑でつかまえて

昨夜に引き続き、開かずのダンボール箱から出てきた古い本のご紹介。
最初はスルーしようと思ったが、やっぱり少しだけ書きたくなった。

 

ライ麦畑でつかまえて』 (J.D.サリンジャー(著), 野崎孝(翻訳)、白水社、1984)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

 

内容はともかく、タイトルを聞いたことがないなんて人はいないんじゃないかと思うくらい有名な本だと思うけど、実際はタイトルを聞いたことがないという人にたくさん会ったので、人間は、自分が重要視している事柄は過大評価してしまうものだということが分かった。。

 

さて、物事にはいろいろタイミングがあって、例えば、本でも、ある特定の時期を逃すと、もうその本を楽しむことはできなくなる、ということがあるんじゃないかと密かに思ったりしている。

 

この本に最初に出会ったのは、中学か高校のとき。
今でこそ小説はまったく読まなくなってしまったけど、
子どもの頃は名作といわれるようなものにしばしば手を伸ばしていた。
一体何が書いてあるのかと気になって。

で、その流れからこの有名な本を手に取ったわけだが、
読んだ感想は「何だこれ?!」という感じだった。
意味が全然分からず、楽しくもなく、恐らく最後まで読まずに途中で本を閉じたと思う。
そして、そのまま本棚に数年眠ることになった。

 

次にこの本に出会ったのは、大学のとき。
部屋の本棚に眠っていたのを取り出して読んだのだった。
そして、この本が僕の人生に刻まれることになった。

読んだ感想は「ホールデンは自分だ! ここに自分がいる!」
そんな感じだった。
多分、この本が好きな人は大抵そう思うんじゃないかと思ったりするけど、
上述通り、自分の思うことを過大評価しているだけで、全然違うかもしれない。。
ともかく昔と違い、夢中になって最後まで読んだように思う。

 

なぜそんな違いが起きたのかのいきさつは全部省いて、
ともかく、読後、随分長い間この本の影響下にあったように思うけど、
今、この本を読み返す気になるかといえば、気が乗らない。
読むとしたら、懐かしさをたどって、というような感じになりそうだ。
良くも悪くも、もうホールデンではない。
ホールデンが、あの話の後、どういう人生を辿ったのか知る由も無いけど、
自分はあの話の先の人生を否応なく歩んでいるし、
いろいろ学んだし、いろいろ変わったし、そんなに悪い話じゃないよ、
と彼に伝えたい。

 

 

一箇所だけ引用。物語の中盤で博物館の話が出てくる。

でも、この博物館で、一番よかったのは、すべての物がいつも同じとこに置いてあったことだ。誰も位置を動かさないんだよ。かりに十万回行ったとしても、エスキモーはやっぱし二匹の魚を釣ったままになってるし、鳥はやっぱし南に向かって飛んでるし、鹿も同じように、きれいな角とほっそりしたきれいな脚をして、あの水たまりの水を飲んでるはずだ。それから胸をはだけたインディアンの女も、相変わらず、あの同じ毛布を織りつづけてるだろう。何一つ変わらないんだ。変わるのはただこっちのほうさ。といっても、こっちが年をとるとかなんとか、そんなことを言ってんじゃない。厳密にいうと、それとはちょっと違うんだ。こっちがいつも同じではないという、それだけのことなんだ。

(中略)

ものによっては、いつまでも今のまんまにしておきたいものがあるよ。そういうものは、あの大きなガラスのケースにでも入れて、そっとしておけるというふうであってしかるべきじゃないか。それが不可能なことぐらいわかってるけど、でもそれではやっぱし残念だよ。

確かにその気持ちは今でも分からないことはないし、否定する気持ちは全然ない。
それを踏まえたうえでなお、今は以下の世界観でしっくり来るし、
それで良い、それが良い、そんな気持ち。
CDもすべて手放したしなあ。。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。

よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

方丈記』(鴨長明)(青空文庫よりコピペ)

 

江戸の町にタイムスリップ - 書籍紹介 - 江戸アルキ帖

今回の本は単純に個人の趣味。

 

CDを手放したことに伴い、季節外れの大掃除中なのだが、
埃の積もった開かずのダンボール箱を開いたところ、随分と古い本が出てきた。
上京するときに持ってきてそのままになっていたようだ。
そのうちの1冊。

 

『江戸アルキ帖』 (杉浦日向子、新潮社、1989)

江戸アルキ帖 (新潮文庫)

江戸アルキ帖 (新潮文庫)

 

恐らくこの本を買った当時は、読んでも何にも心に残らなかったはず。。(^_^;)
実際、読書感想の記憶が無い!
何しろ東京の地を何も知らなかった。

 

でも、都内のあちこちを歩き回った後の今ならよーく分かる!
ちょっと眺めるつもりがどっぷり浸ってしまった。

 

さて、この本の設定がちょっとユニークで、
運転免許感覚でタイムトラベル免許があって、
長らくペーパートラベラーだった杉浦さんが毎週日曜に江戸にタイムスリップして
各所を散策することにしたという設定。
その1回分の日記が、見開き(左にイラスト、右に文章)で載せられていく、
というスタイルになっている。

 

  • 湯島の高台から見る江戸の夜景
  • 品川での潮干狩りと帆の張った船の遠景
  • 丈高い葦の茂る漁師町の羽田
  • 上野「山」の中の寛永寺
  • 雪景色の御茶ノ水の渓谷
  • 隅田川を北上して千住で西に蛇行して豊島橋まで来るとそこはもう鄙びた辺境の地

等々

 

設定上、日本橋から日帰り圏内という範囲らしく、
登場場所が限られているのがとても残念で、
江戸と言わずその周辺にもどんどん遠出してもらって、
もっともっとつづきが読みたい!と心底思った。

それはもう叶わない願いだが。
(杉浦さんは2005年にガンにより46歳の若さで亡くなられている)

 

とりあえず、東京に住んでいる人は、読んだらきっとおもしろいんじゃないかと思う。
いつもの東京が、ちょっと違う感じに見えてくるのではと。

 

余談

読後に驚いたのが、とてもゆったりした気分になっていたこと。
あれもやってこれもやって、のような状態から、ちょっとどっしり構えるような感じに。
杉浦さんの軽妙な文章と風情のあるイラストを追っているうちに、
気づけば没頭、自分も一緒にゆったり散策した気持ちになった。

 

教育者 - 書籍紹介 - 松下村塾と吉田松陰

先日、世田谷区の松陰神社を訪れたことで、
そういえば、吉田松陰ってどういう人なのか、
安政の大獄で処刑されたこと程度しか知らないぞと思い、
まずは簡単に読めるものをと思い、手に取ったのがこの本。

 

松下村塾吉田松陰 - 維新史を走った若者たち』 (古川薫、新日本教育図書、1996)

松下村塾と吉田松陰―維新史を走った若者たち

松下村塾と吉田松陰―維新史を走った若者たち

 

小中学生向けの本なのかもしれず、確かに簡単にしか分からなかったけど、、、
でも簡単に読めてざっと知ることができて良かった。

 

ひとつ強く印象に残った、教育者の側面としての吉田松陰のやり取り。

松陰はかつて門下生の高杉晋作から、
「男子はどこで死ぬべきですか」と質問されたことがあった。
それに対してはっきりした答えをしないままだったが、
安政の大獄で捕らえられて、その獄中から出した手紙が以下の内容。

 

きみは問う。男子の死ぬべきところはどこかと。
小生も昨年の冬投獄されていらい、このことを考え続けてきたが、
いまついに、死の一字について発見するところがあった。
死は好むものではなく、また、にくむべきでもない。
世の中には、生きながら心の死んでいる者がいるかと思えば、
その身はほろんでも魂の存する者もいる。
死して不朽のみこみあらば、いつ死んでもよいし、
生きて大業をなしとげるみこみあらば、いつまでも生きたらよいのである。
つまり、小生のみるところでは、人間というものは、生死を度外視して、
ようするに、なす心構えこそが、たいせつなのだ。

 

これが、高杉晋作のその後の言動の指針になったらしい。
それが明治維新への扉を開き、巡り巡って現代に至るという。

 

魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える、という話と同様だけど、
そのような、人の寄るべきところ、指針を与えられるというのは、
とても優れた教育者、指導者だと思う。

(そのとき、それはもう、口先の言葉の問題じゃなく、発する人そのものの話になると思う。 )

 

シゴトにおいても、例えば新人の頃とか、一つひとつの「手段」を教わったことは、
それはそれでとても有難いことだし、感謝するのは間違いないことだけど、
とはいえ、それよりもずっと強く心に残っているのは、
そのときすぐには役立たないけど「オレはこうだと思っている」というような、
先輩や上司のシゴト観、○○観の話だったりする。

ともかく、そういうのって大事だと思う。
そういう意味で、環境って非常に重要だと思う次第。

 

※余談

プロ野球を想像すれば分かり易いけど、
優れたプレイヤーが必ずしも優れた教育者・指導者ではない、
という人事の罠がしばしば組織にはあるものだけど、
という側面も一応書き足しておこう。 

 

トッド・ラングレン - 音楽紹介 - Utopia 『Deface the Music』

ようやく時間ができた。
こんなときには音楽紹介カテゴリ。。

 

1週間前にCDをすべて手放したのだが、
手放すにあたって全CDに目を通したおかげで、懐かしいものにも出会えた。

 

そのうちのひとつ。

Utopia 『Deface the Music』

 

1曲目:I Just Want To Touch You

 
UTOPIA【I JUST WANT TO TOUCH YOU】 - YouTube

 

ビートルズのパロディでありつつ、やはりトッド節が炸裂する。
とりあえず、とてもおもしろくて笑えてくる。。 

 

ちなみに、トッドの曲を1曲だけ選べと言われたら、とりあえずコレかな。

Todd Rundgren - Love Of The Common Man


Todd Rundgren - Love Of The Common Man - YouTube

 

初めて洋楽というジャンルを意識してアルバムを買ったのがトッド・ラングレン、という思い出がある。(当然、リアルタイムじゃないですが。。)

ちなみに、上記の曲が含まれるアルバムは、1976年発表。
マジか。古い。
なのに、今聴いても全然イケるのは、単なる嗜好性の問題か。。 

 

初心 - 音楽紹介 - がんばっていきまっしょい & 春の野を行く

一段落的に、音楽紹介カテゴリの2つめの記事。

 

先日、モノを捨てようの一環で、CDをすべて手放すことを決意したのだが、
埃を被って眠っていたCD群の中から、映画『がんばっていきまっしょい』のサントラを見つけた。

がんばっていきまっしょい オリジナル・サウンドトラック

がんばっていきまっしょい オリジナル・サウンドトラック

ジャケットの風景が美しすぎる。
ともかく、こんなCDを買っていたこと自体を忘れていた。
映画のストーリーも全然思い出せない。

とりあえず、1曲目「オギヨディオラ(メインテーマ)」を流してみたら、
ただこの映画を観た当時の雰囲気だけがぶわっと浮かんできて郷愁にかられた。。
音楽とか匂いって一瞬でそういうものを思い起こさせるから不思議だ。 

 

当時、この映画を観たことがきっかけで、映画に全然詳しくないのに、某地方の映画サークル的な集いに参加して、感想文を書いてくれたら会報(?)に載せるよという話を受けて、それを書いて載せてもらったのだった。

何を書いたのか今となってはまったく思い出せない。。
今みたいにPCやメールが当たり前だったら、デジタルデータとして残っていただろうけど、自分もPCはまだ所有しておらず、相手もワープロの人だった。
なので、ワープロで書いて、それを紙に印刷したものを手渡したのだった!
たった十数年前の話なんだけど。。

何を書いたかは忘れたけど、ただ間違いないのは、主人公・悦子の姿勢に、何かしら自分の姿を重ね合わせていただろうということ。
そして、「自分もやるぞ! がんばっていきまっしょい!」 そんな感じで締めたのだと思う。

今だってまだ全然見えていないけど、当時は今以上に全然見えてなくて、
少しの希望を胸に、大きな不安の中を手探りしつつ生きていて、
ともかく、そういう初心の雰囲気を思い出したと、それだけの話。。
まあ、今だって大して変わらないか!(^_^;)

 

 

話のテーマ的にも類似し、今の季節的にもちょうどいい1曲を併せてご紹介。

『春の野を行く』(村松健

 

『雪催 (ゆきもよい)』(村松健)というアルバムのラストに収められている。

雪催-ゆきもよい-

雪催-ゆきもよい-

春のアルバムに収録されているのではなく、冬のアルバムのラスト曲というのがイイ。

この曲の何が好きかといえば、
いわゆる卒業ソング的な、涙を誘うような情緒たっぷりの曲調でなく、
逆に、ポジティブで明るくてウキウキするような曲調でもなく、
ただただ「春の野を行く」というテンション。
それがとてもしっくり来る。 

 

 

というわけで、十数年後も同じことを言っています。
いや、きっと死ぬまで。 

がんばっていきまっしょい