先日、世田谷区の松陰神社を訪れたことで、
そういえば、吉田松陰ってどういう人なのか、
安政の大獄で処刑されたこと程度しか知らないぞと思い、
まずは簡単に読めるものをと思い、手に取ったのがこの本。
『松下村塾と吉田松陰 - 維新史を走った若者たち』 (古川薫、新日本教育図書、1996)
- 作者: 古川薫
- 出版社/メーカー: 新日本教育図書
- 発売日: 1996/03
- メディア: 単行本
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小中学生向けの本なのかもしれず、確かに簡単にしか分からなかったけど、、、
でも簡単に読めてざっと知ることができて良かった。
ひとつ強く印象に残った、教育者の側面としての吉田松陰のやり取り。
松陰はかつて門下生の高杉晋作から、
「男子はどこで死ぬべきですか」と質問されたことがあった。
それに対してはっきりした答えをしないままだったが、
安政の大獄で捕らえられて、その獄中から出した手紙が以下の内容。
きみは問う。男子の死ぬべきところはどこかと。
小生も昨年の冬投獄されていらい、このことを考え続けてきたが、
いまついに、死の一字について発見するところがあった。
死は好むものではなく、また、にくむべきでもない。
世の中には、生きながら心の死んでいる者がいるかと思えば、
その身はほろんでも魂の存する者もいる。
死して不朽のみこみあらば、いつ死んでもよいし、
生きて大業をなしとげるみこみあらば、いつまでも生きたらよいのである。
つまり、小生のみるところでは、人間というものは、生死を度外視して、
ようするに、なす心構えこそが、たいせつなのだ。
これが、高杉晋作のその後の言動の指針になったらしい。
それが明治維新への扉を開き、巡り巡って現代に至るという。
魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える、という話と同様だけど、
そのような、人の寄るべきところ、指針を与えられるというのは、
とても優れた教育者、指導者だと思う。
(そのとき、それはもう、口先の言葉の問題じゃなく、発する人そのものの話になると思う。 )
シゴトにおいても、例えば新人の頃とか、一つひとつの「手段」を教わったことは、
それはそれでとても有難いことだし、感謝するのは間違いないことだけど、
とはいえ、それよりもずっと強く心に残っているのは、
そのときすぐには役立たないけど「オレはこうだと思っている」というような、
先輩や上司のシゴト観、○○観の話だったりする。
ともかく、そういうのって大事だと思う。
そういう意味で、環境って非常に重要だと思う次第。
※余談
プロ野球を想像すれば分かり易いけど、
優れたプレイヤーが必ずしも優れた教育者・指導者ではない、
という人事の罠がしばしば組織にはあるものだけど、
という側面も一応書き足しておこう。