kiritterのブログ

IT業種。好きなもの 音楽(Rock,House,Trance,etc) 読書(実用書) 歩くこと 日本史 スノボー など。現代社会がこの先どう進んでいくのか興味津々の今日この頃。(Twitter : kiritter)

むずかしいことに取り組もう - 書籍紹介 - 減速思考 【1/3】

「思い立ったが吉日」「拙速は巧遅に優る」
とはいえ、
「急いては事を仕損じる」「急がば回れ」

 

先人の有難い教えには、往々にして反対の言葉があるものだ。
どちらか片方だけで済むほど世界は単純ではないからだろう。
ていうか、ことわざ類は文脈から切り出されて単体で出てくるから反対っぽく見えるだけで、実際のところは別に対立してない。
そうか、その文脈を思い出させるためのキーワードか。デザパタのパターン名のような。
とりあえず、大きな方向性を描くときは深く考えるべきだろうし、それが決まったなら速ければ速いほど良さそうだ。

 

さて、最近、ちょっと焦りの気持ちが表面に上がってきているという自覚がある。
若い頃の焦りとはちょっと性質が違うけど、それでも妙に心落ち着かず、という点は同じだ。
のほほんとしているよりは焦るくらいがちょうどいい、そんな話もあるかもしれないけど、ここではそういう話ではなく、焦ったところで思考が深まるわけではない、そういう話。

 

そんなある日、店頭で僕の目が勝手に目をつけたのが、この本。

 

『減速思考 - デジタル時代を賢く生き抜く知恵』
(原著タイトルは、Future Minds)
(リチャード・ワトソン(著)、北川知子(翻訳)、徳間書店、2011)

減速思考 デジタル時代を賢く生き抜く知恵

減速思考 デジタル時代を賢く生き抜く知恵

  いつの間にかISBN記法が使えるようになってた!
  やったー! やっぱり表紙画像があると華がある! 嬉しい!

 

とりあえず、タイトルを見れば、おおかたの内容は想像つくと思う。。(^_^;)
「深く考えることが重要だ。そのためにはスピードを落とす必要がある。」
ざっくり言えばそういう話だ。
その一言で、そうだった!忘れてたなあ!としっかり思い出せる人は、わざわざ本書を読む必要はないかもしれない。

 

「○○思考」の類書は巷に溢れていてキリがないと思っているので、
いつもならそのままスルーするところだけど、勝手に目が探し出したことから、
なるほど、自分が今まさに直面しているこの焦りに対抗する、きっかけの「儀式」としてちょうどいいんじゃないかと思い、手に取ってみた。
著者は「類書を量産」系の人じゃなく、「減速思考」も邦題だったこともあり、購入に至る。

そして、雨の週末、意識して心を静めてページをめくったのだった。

 

 

体力ではなく、知性が経済的生産のための主たるツールとなった。

(中略)

ところが、現在、危機に瀕しているのは、この種の思考なのである。

そんな序章から話が始まる。

 

 

■ 第1部 デジタル時代の知性

昨今の「スクリーン文化」とその影響について述べられている。

 

ここで出てくるのが「スクリーン中毒」という言葉。

隙あらばスクリーンを見て、

われわれはひたすら画面をスクロールしている

これは耳が痛い・・・。
スマホやTwitterによって、その傾向に拍車が掛かっていることに気づく。
見る人が見れば、まるでお笑いコントの登場人物の如く、滑稽な姿に映るかもしれない。

 

そのようなスクリーン中毒によって、深く考える機会だけでなく、「発酵させる」機会も失っているという。

 

ちなみに第3部ではこんな引用があった。

仏教では、次々にいろんなことを考え、いまこの瞬間に完全にとどまることがない状態を「猿の心」という。

なるほど・・・。

 

念のため。
著者は、「アナログ最高!デジタルを捨てろ!」論者ではない。
必要とする思考の種類によって使い分けよう、バランスを取ろう、そういう主張。

 

 

昨今の電子書籍に関係しそうな話もあった。

子どもが集中できず、シェークスピアを理解できないからと、

まるでディズニーランドのような双方向学習の場を用意するのは、

必ずしも正しい答えではない。

私は、生文献を読んで即すべてが理解できるほど優秀ではないので、
ガイドとなる入門書や解説書はとても有難く読ませて頂く人間。
それらによって、こういうことだったのかと認識して離陸させてもらえることが多い。
とはいえ確かに、いざどういう手段でどこまでの深さで提供すべきかというバランスの話になると一概には言えないものだなあと思った。
良影響より悪影響の方が大きくなる場合もありうるのだ。
ゴールに置くのは、そのテーマに関心を抱かせることか、目先の知識の獲得か、それとも知的訓練というプロセスか。
きちんとゴールを見据えて手段を選択しないといけない。

 

 

マルチタスクの弊害という話からは、プロジェクト掛け持ちの話を思い出した。
優秀な人なのに、掛け持ちしたら大失敗した、そんな事例を近年も見た。

 

情報技術者は、想像力を働かせることが非常に重要。
よく言われる話だけど、例えば20階建てのビルを建設中だとして、
そろそろ出来上がりそうなときに、「やっぱり1階から5階は吹き抜けにしよう!」
そんなことを言い始めるお客様はいないと思う。
しかし、ソフトウェアの世界では、そういうことが起こりうる。
見えないからだ。
文面にしていようが絵にしていようが、少なくともパッと見では全体は見えないのだ。
サンシャイン60のすぐ下に実際に立ってみれば、その大きさに圧倒されるはず。
しかし、どんなに複雑なシステムでも、そのソースコード群を目の前にしたところで、あの圧倒感を感じることはない。
(システム開発経験のある人は、想像力で補って圧倒されるかもしれないけど。。)
そのため、ちょっとした変更に見えても、想像力を働かせて粘り強く考え抜かないと、思わぬ副作用に慌てることになる。

なので、誰一人深く考えることのできない体制、深く考えるインセンティブを持たない体制、というのは最初から失敗する運命を宿している。

アサインする側は、この辺りの力学を、それこそ想像力豊かに考える必要があると思う。

アサインされた側から言うのは普通なかなか難しいことだ。
「面倒だからそう言ってんじゃないの」とか、自分が非力であることを認めることになると思ってしまうとか。
とはいえ、本当に結果を重視するなら、そのときはその旨相談すべきだと思うけど。
ともかく、掛け持ちで頑張った結果が、「いいかげんに仕事したからこうなったんだ」で終わるのは、まったくもってやり切れない悲しい話じゃないか。

 

 

【2/3】につづく