kiritterのブログ

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坂本龍一 - 書籍紹介 - 縄文聖地巡礼

尖った固有名詞を挙げると、その尖り具合に影響されて、意図しない色まで醸し出してしまうこともあるけど、その一方で、そんな固有名詞を挙げることで、ざっくりその人の方向性的なところが分かった感じになったりもする。まあ、そもそも子どもの頃とか、固有名詞を出し合うところから友人関係が始まったような?!

というわけで、最近、妙に「教授」の名前を目にすることがあり、そのおかげで久しぶりに曲も聴いたりしていて、それでもって、こんな本を買ったのでご紹介。

 

『縄文聖地巡礼』(坂本龍一中沢新一木楽舎、2010)

縄文聖地巡礼

縄文聖地巡礼

 

坂本龍一氏と中沢新一氏の対談本。

個人的に日本史、それも古代史が特別好きなので、私はとても興味深く読んだけど、そうじゃない方には、特におすすめはしないです。。(^_^;)
とはいえ、「天井から自分を見る」というような話につながる感じで、たまにはおもしろいと思います。 

とりあえず、驚くのは、教授の博識ぶり。単によく知っているという感じじゃなく、いろいろ考えて自分の一部として取り込んでいるという感じ。そうじゃなきゃ、こんなに話が続かないと思う。学生運動やってた人だし、まさにあの時代の人だなあと。その多才ぶりの土壌が垣間見える。

ちなみに、近年はピアノメインだったりで、癒し系な雰囲気を感じる方も、もしかしたらいるかもしれないけど、教授は100%肉食系の人だと思う。。良いところも悪いところもひっくるめて、持っているエネルギーの強さとデカさを感じる。たまにバラエティ番組で、自ら変な格好で参加するところも、そのひとつの表れかと。

 

 

さて、この本のテーマである「縄文」の指すイメージは、まえがきにある、以下のようなもの。

<中沢氏>日本列島に住んでいた、国家が生まれる前の人々の生活や自然観、心のあり方全体を含めて「縄文」と呼ぶとき、厳密に考古学的な意味とは別に、ひじょうに多様な意味を包摂する言葉になっています。

そして、旅と対談の目的は、

<中沢氏>古代への情緒的な幻想を求める旅をしているのではありません。これは、いま私たちが閉じ込められている世界、危機に瀕している世界の先に出ていくための、未来への旅なのです。

そして、最後にまとめとして、

<中沢氏>ぼくらがなぜ縄文文化に関心をもつのか、縄文の旅を続けるのかというと、新石器文化がもっていた可能性を考えたときに、現在あるような方向性ではないものがあり得たということが、手につかめる感触として日本列島のなかに残っているからなんですね。

<坂本氏>現在の地点に一直線にきたかのような錯覚に陥るけれど、歴史なり、いまあるものでもよく見てみると、そうじゃない可能性がたくさんあるんですね。

<中沢氏>多様な分岐点がいっぱいあったし、いまだって、見えなくなっているだけだから、意識して、努力して、その可能性を閉ざさないようにすること。

確かにそう、一直線に来たというか、「昔からずっとこうだった」 そんな風に、特に子どもの頃は無意識に思い込んでいたけど、よくよく自分で歴史を見聞きし始めると、自分が長年住んでいた故郷の町も、生まれる数十年前は全然違った景色だったようだし、学校の歴史では習わなかったけど実は意外にスゴイ郷土の歴史があったり、関東だって150年くらい遡れば、まだ河が交通の大動脈の時代だった。人とモノの交流の中心地が異なるということは、つまり今とは大きく様子の異なる社会があったということ。長い歴史から見れば、今の時代の方がよっぽど一瞬の特異なものなのだ。そんなことを思ったりする。

 

 

というわけで、後は、教授の興味深いコメントを列挙。

 

<坂本氏>神道という名前がつけられる前から、そのもとになっている文化や美意識はあったんだということ。

このものの見方、まさに自分で歴史を学んでから知った。後付けで今から古代を見ると、あたかも○○を作ったから以降そこが聖地になったように見えるけど、そうじゃなく、もともと聖地だったからこそ○○を作ったのだ、という見方。

  

<坂本氏>長い歴史のなかではつい最近のことですよ。この100年、あるいはルネサンスから考えても500年くらいというのは、一種の試行実験の時期だったと思えば、また少し戻ってやり直せばいいじゃないかって思うんです。

先日、いまだ人類は壮大な実験の途中なのだ、というようなことを書いたけど、まさに同じ気持ち。まあ、誰かが望むからこそ、今のこの形になっているわけで、その人たちが既得権益を自ら手放すことはないので、そう簡単にやり直しましょう、OK! にはならないところが、いつの時代でも争点になる。自ら望む姿に持っていくよう行動していかないと。

 

<中沢氏>生と死は一体になっているんだと。

<坂本氏>狩猟民にとってはそれが当たり前だったわけですよね。毎日、他の生命を殺さないと、自分が生きていけないわけだから。それは実は現在でも全く同じなんだけど、それを隠そう隠そうというように社会が整備されてきた。

<中沢氏>自分が生きるためには必ず他者を殺さないといけない。生きることと死ぬことは同じ。

<坂本氏>だから、動物と自分たちを同一視するわけですね。

そういう意味だったのか。易しく伝えてもらって初めて理解した。。普段は意識にのぼらない、いや考えるのを拒否しているだけだと思うけど・・・、ふと気づいたときは怖くなる。フライドチキンとかステーキを食べているときに・・・。

 

<坂本氏>アイヌの熊送りを見ればわかるように、「いただいたら、お返しする」っていうこと。これを人間は忘れてしまってる。

「いただいたら、お返しする」
なんてシンプルで骨太なコンセプトだろうか!
これだけを念頭に置いておけば、実は大抵のことはうまくいくのでは、そんなことを思った。
忘れた分、猛烈なスピードで科学技術が発達して、世の中便利になって、僕もその便利さを享受しているけど、忘れた分、やはり欠落した部分もあるわけで、過去に学ぶことは全然無意味なことじゃない。

 

<中沢氏>それにしても驚くのは、縄文時代に、あらゆる技術がだいたい、いま、ぼくらが持ってる技術の水準に到達してるってこと。

<坂本氏>織物とか漆工とか、漁労の道具にしても、縄文人が使ってた道具って、つい最近まで使われていたものとほとんど同じなんだね。

自分も、博物館など多く訪れて、そのことを知ったときに、強い衝撃を受けた。原始人とか野蛮人とか、全然そういうイメージではない。土器ひとつ取っても、オレには作れん。。単に土を固めて乾かしただけではない。ともかく、巨人の肩に乗りすぎて、地面が見えない。。それが文明なのかもしれないが。

 

<坂本氏>(江戸の木遣りについて)中心がない合唱。中心が抜けてるのかもしれない。縄文の環状集落と同じ構造かな。みんなが最大のエネルギーで声を出している、そういう場所。ピグミーの合唱もそう。ところが国家ができると、ひとりの歌をみんなが聴くというかたちに変わる。ソロで歌うというのは、神の代理なんだよね。神の代理人である王が陳べることを、民衆が聴くという形に変わってくる。

なるほど、そういう構造があるんだなあ。

 

<中沢氏>この列島においてメルクマールになるのが環状列石群だと思うんですね。(中略)縄文中期の遺跡群を見てみると、死者と生者が入り混じる状態をつくっていますよね。(中略)ところが縄文後期になると。

<坂本氏>聖地をつくって分離しちゃうのね。

<中沢氏>死者の世界を村の外へ出して分離しはじめる。そうすると、不均質だった生者の世界は均質空間になり、死者の世界も観念的になって記号化されていく。

<坂本氏>人間世界と自然が分離されて、その上、一部の特権的な人間が自然の力を象徴し、その力を行使するようになっていくわけです。

環状列石群がメルクマール。こういう見方、知らなかった。これは役立つ。

 

<坂本氏>石笛だと音程をコントロールしにくいので、音律という観念は生まれにくい。しかも複数で演奏するときに、同じピッチは出せないです。ところが琴は数学的に調律できます。(中略)琴が出てきたら、数学、科学、国家に向かう思考がはじまったと考えていいかもしれませんね。(中略)石笛から琴への変化は、ものすごく大きなジャンプなんですね。

これも全然知らなかった。音楽家ならではの視点。興味深い話。

 

 

締めはやはり教授の曲で!
しかし、教授の作曲ジャンルの幅広さには舌を巻くばかり!

とりあえず、ありきたりですが、個人的All Time Bestは、戦メリです。(^_^;)
しかし、文脈違いすぎるので、ここには載せない。。

時折口ずさんだりするのは、Psychedelic Afternoon
何ともいえない心地良さがあるけど、やはり文脈的に載せない。。

産業革命の象徴として機械音をイメージするなら、こんな曲など どうかなと。

Ballet Mecanique

ボクニハ ハジメト オワリガ アルンダ
イツマデモ ツヅク オンガク

終わりという語と、続くという語の対照がおもしろい。
終わるのはパラダイムで、続くのは人間の営み。
そんな風に個人都合で勝手に解釈するとそれはそれで妙な味わいが生まれる。

 

とはいえ、そんなもの悲しい雰囲気で締めるのは望むものではないので、この本でも一瞬名前の挙がる『音楽図鑑』から、Tibetan Dance の ライブVersion を。
こんなVersionがあったなんて。初めて聴いた。この躍動感!

Tibetan Dance