kiritterのブログ

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思うこと - 物語はハッピーエンドが良い

あと、5時間半で、2012年が来る。
輝かしい2012年に向けて、一言。

 

AVATARを観て思い出したこと。

普段はビジネス書や技術書しか手に取らないけど、SF(映画/小説)を、ふとしたタイミングで観たり読んだりすると、普段の生活では前提としていて改めてそこに目をやるなんてしない、人間としての深いところが刺激されて、そして、勇気が湧いてくるな! ということ。

 

さて、物語を観よう読もうとするとき、ひとつ注意していることがある。
それは、バッドエンドな話は求めてない、ということ。

 

だって、そんな話は日常的にあるし、
いつでもニュースに流れているし、
熱力学の法則にあるように、放っておけば、物事はそういう話になるし、
この世を悪いように見ようと思えばいくらでも悪いように見えるし、
「この世はね、残酷なものだよ」 そう改めて言われたところで、絶望に打ちひしがれて真っ青な顔して突っ立ってれば救われるかといえばまったくそんなことないし、
つまり、これ以上、わざわざ時間を掛けてまでバッドエンドな話なんて必要としてなくて、
希望が、それがたとえかすかでも、見える物語しか必要じゃない、そんな気持ち。

 

そんな淡い希望なんてものを信じ続けて、死ぬ間際にやっぱり幻想だったなと気づかされたらどうするの?

そんないじわるな問いもあるかもしれないけど、随分昔に「決めた」のだった。
残念だけど、自分の力量不足も大いにあって、とりあえず、自分にはその希望の尻尾をつかむことはできなかったなあ、そう思うことにする、と。

今では、この考え、とても日常的なものとして根付いている。自分ではどうにもならないこともたくさんあるし、その中でできる限りのことをやろうとする以外に選択肢はなくて、そんなときに必要なのは希望だけ、そんな気持ち。

 

ちなみに、あきらめと書くとネガティブなイメージだけど、諦観と書くと何だかポジティブです。。
あきらめという語感から連想するような、そんな暗い気持ちじゃないです。。(^_^;)

ちなみに、糸井重里氏による、魔女の宅急便のコピー、
おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。

最近読んだ糸井氏の本の中で久しぶりにこの言葉に出会って、そうそうこんなコピーあったなと思いながら、今改めて読むと、とてもすばらしい響きがするなって思った。